劇団ジュエリー・ビーンズへようこそ。主宰の田岡紀夫と申します。このページでは、劇団の生い立ちについて触れて参ります。
新しいエンターテインメントの形としての朗読に取り組み始めたのが、もう早いもので15年も前の事になりました。現在は朗読ライブという形で皆様へお届けしておりますが、このページでは経緯について記したいと思います。

元々はラジオ番組から始まった

劇団ジュエリー・ビーンズは、元々ポッドキャストラジオで朗読番組を制作していました。スタートは2006年5月22日の事でした。
6分番組でオープニングとエンディング及び宣伝等を盛り込んでいたので、物語本文に当てられるのは3分30秒程度でした。
当初は詩や単発もののショートストーリーで、紅嶋麗によるオリジナル作品が中心でした。

単発ものから連続ものへ

配信回が続いていくと、連続ものを創っていこうという意欲が湧いてきました。一つの物語が3分30秒に収まりきらなくなったというのも理由にあります。
それでも最初は4回連続ものでしたので、合計でも14分程度という今の規模からすればまだまだショートストーリーの枠から抜け出せないものでした。

突然、物語が降りてきた奇跡

2006年から2008年頃はまだ事業としては成立しておらず、別の表現活動との並行で進めてました。
その活動というのは、グラビア(勿論撮る側でしたが)です。ある夏の日、撮影を終えてモデルと帰路にいた頃です。
あれは確か車で八王子の山から降りようとしてた時でした。車窓全面を覆い尽くすような大きな花火が上がったのです。それがあまりにも美しかったので、思わず車を止めて少しの間眺めていました。
その瞬間、一つの物語が浮かび上がりました。今でも毎年夏に公演している「待夢カプセル」という作品がそれです。

人生の節目にいるのは、何故か演劇関係者

今でこそ劇団主宰を名乗ってますが、若い頃から演劇にのめり込んだという訳ではありません。寧ろ未知の領域でした。朗読番組の制作は演劇活動としての自覚はなく、コンテンツ制作の一環でした。なので役者を目指していたという事もありません。
ところがです。大昔から何かと演劇関係者が気付けばすぐ近くにいました。
初恋の同級生がそもそも演劇部員でしたし、高校時代に文芸誌を一緒に作らないかと誘ってくれた後輩も演劇部員でした。大学時代は国文学科に身を置いてましたが、文学談義に花を咲かせた相手の一人も演劇部員でした。
そして朗読番組を続けようと奮い立たせてくれたパーソナリティとはグラビア関係で知り合ったのに、元々はとある劇団に4年半も在籍していた子でした。
また前述のモデルも、別の劇団から紹介を受けた劇団員でした。

文学と演劇は酒を酌み交わすくらいの親しい友人

高校から大学にかけてはとにかく文学とジャズに開花した時代でした。誤解をおそれずに言えば、そこに演劇が入り込む余地はありませんでした。
ところがあの手この手で顔を出してくる演劇人たち。いや、決して迷惑だと感じてた訳ではないのです。何というか、演劇の世界から強いアプローチを受けているというべきか・・・・。深い縁を感じましたね。
理数系で言えば数学と科学。文化系で言えば文学と哲学。でも文学は学問としての側面だけではなく、娯楽(エンターテインメント)の側面もあります。そこに蜜月関係を結んでいるのが演劇なんじゃないのか。今はそう自分の中で結論づけています。

ラジオから公演へ

ポッドキャストラジオは朗読番組ばかりではなく、トーク番組も制作していました。パーソナリティがいてゲストを招いてインタビューするという形式のものです。そのゲストさんには少なからず役者や声優などの肩書を持った人がいました。
2007年くらいでしたか、そんな人たちから出るキーワードに朗読ライブというものがありました。音楽ではなく朗読のライブ?最初はどういうものか想像つきにくかったですね。
しかしそれは難しい事じゃありませんでした。まず会場が劇場ではなくライブハウスやライブバーであるという事。なるほど。だから朗読劇ではなく朗読ライブなんだなと。

当初は不定期公演だった

朗読ライブなるものを主催するに当たって考えた事。
まず会場に関してはライブハウスやライブバーなどのライブスペースという選択しかありませんでした。そこに劇場で演るという発想はありません。そしてラジオ番組のクオリティをそのままに、お届けするというものでした。
因みに劇場開催もこれまで全くなかった訳ではありません。今は劇場で演るのも良いもんだなとは思ってます。
当時はサンプラーというものの存在さえ知らなかったので、音の出入りするタイミングを耳に叩き込ませるという今からすればかなり厳しい事を要求してました(笑)
サンプラーというのはポン出しとも言われるもので、特定のキーを押せば割り当てられた音を出すという代物です。これを導入する事で、芝居と音をお互いにシンクロさせる事が可能になりました。
最初は他の主催者さんによるイベント枠で少しずつ、そして独自開催も不定期での開催でした。

定期開催化は縁によるもの

これはとてもありがたい事です。最初は誰しも実績がない訳で、会場を借りるにしても企画内容だとか集客に関しても信じて貰うしかありませんでした。そんな中で、ある場面場面で知り合った人によって、会場との縁を取り持って頂けたのは大変感謝しています。
現在、当劇団では20作品ほど保有しています。あともう少し増えれば、月二回公演も可能になります。そうなった際には、劇場での定期開催も視野にして行きたいと考えてます。